継体天皇
聖徳太子は蘇我入鹿だそうな。
物部氏(瀬戸内海)と蘇我氏(日本海)の仲を取り持ち、
・・・そして日本海は復活し、
六世紀初頭の継体天皇(日本海)の出現によって、
政治地図は大きく塗り替えられ、
物部氏は窮地に追い込まれたのだ。
その一方で、蘇我氏の呼びかけに応じた物部氏は、
「国のため、人々のため、子孫のため」と、
私利私欲を捨て、土地と民を国に差し出し、
改革の中心に立って奮闘したのだった。
ではなぜ、物部氏の業績が歴史に残らなかったのかと言えば、
『日本書紀』が真実を隠匿してしまったからだ。・・・
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