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面白かった、しろい本

  • 保江邦夫: 唯心論武道の誕生
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2015年2月27日 (金)

天心

「岡倉天心」という名も「茶の本」という名前も知ってはいたが・・・。
どうしてどうして「巨人」と呼ぶにふさわしい人物だ。

「茶道」の訳語に、通常用いられる「tea ceremony」ではなく、
「teaism」という造語をあてています。
そこには、茶が単なる儀礼にとどまらず、
「Taoism(道教)」や「Buddhism(仏教)」と同じ
宗教的なレベルにまで達するものであることを
示す意図があったと思われます。
このことは、芸術や哲学、宗教を日常生活とは
別次元のものとして分けて考える
近代西欧的意識から見れば、驚くべき逆説でしょう。
しかし天心は、そこにこそ東洋文明の根本原理が
あらわれていると考えていました。

茶道は姿を変えた道教なのである。

茶に影響を与えているものとして中心となるのは、
相対性の認識と、不完全性の美学
(あるいは虚の美学)だとしています。

日本の護身術である柔術の「柔術」という名は
老子の「道徳経」の一節に由来する。
柔術の秘訣は、無抵抗、虚によって相手の力を引き出し、
消耗させる一方、自分の力は温存しておいて
最後に勝利するというものである。
芸術においては、同様の原理の重要性が
暗示の効用としてあらわれる。
つまり、ここでは、虚は、鑑賞者を導き入れ、
その美的感情を思う存分に発揮させる場となるのである。

原始人は、思いを寄せる乙女に初めて花束を捧げた時、
獣(けだもの)でなくなったのだ。
自然界の粗野な本能性を脱して人間となったのである。
無用なものの微妙な有用性を知った時、
彼は芸術家(アーチスト)となった。
うれしい時も、悲しい時も、花は変わらぬ友である。
(中略)
そして、最後に私たちが土に還る時には、
花こそが墓の上で嘆き悲しんでくれるのだ。

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