一神教
「一神教が大事にするのは、神と自分との関係であり、
ほかの人間の評価は気にしない」そうな。
「あえていうなら一神教は、ある意味で寛容です。
他者に対して無関心ですから。」という事になる。
対して「日本人は、手が届かない山も川も、海も太陽も、
神であると、すべてを人格化した」
日本人は、「神様はおおぜいいたほうがいい」と考えます。
なぜか、「神様は人間みたいなものだ」と考えているからです。
で、その付き合いの根本は、「仲よくすること」なんです。
このやり方を、人間じゃない神様にも当てはめる。
すると、多神教になる、という。
一神教があぶないというのは、よくわからない。
イスラム教には、クルアーン(コーラン)と、
シャリーアという固定した法とがあり、
すべて決まっている。
また、原罪という考え方がない。
それゆえ発展ということがなさそう。
対してキリスト教は、父なる神と
聖霊とイエス・キリストがいるから、
厳密な意味で「唯一神教」ではないという。
神との論争による言い訳で、逃げ道がある。
その分、人間に都合よく解釈でき、
資本主義が発達したのもそのせいだという。
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