黄檗宗
読んでしまった。
読んだと言うよりは最後のページまで到達したと。
黄檗(おうばく)宗の名前は聞いたことがあるが、
臨済宗の一派とは知らなかった。
明(漢人族)朝末期、清(満州族)が支配力を増す中、
長崎興福寺から請われて、30人の弟子と共にやって来た。
最終的には京都宇治に黄檗山万福寺(黄檗宗)を開く。
江戸時代前期に宇治黄檗山はすべてが明風となる。
そのときの歌。
〝山門を 出づれば日本ぞ 茶摘み歌〟 菊舎
ちなみに檗とはキハダのことで、樹皮は薬にも染料にもなるという。
明朝体、400字詰め原稿用紙などもこのとき伝わったという。
最近のコメント