老子を読んだ
太極拳、神仙道、合気道、神道などの分野にわたり、
なかなか興味深い内容だ。
太極拳は、その昔ユダヤ人ヤコブが見えざる神に戦いを挑まれて
一昼夜戦いぬき、 神にその武芸を賞賛され、
以後イスラエル(神に打ち勝つ者)と
名乗ることになるのだが、
太極拳は、見えざる神との戦いの形が発祥ではないか、
太極拳のユニークさは、古代イスラエルの神秘思想、
キッベール(カバラ)の秘儀が土台にあるからだという説もある。
その太極拳の目指すところはまさしく
「老子」そのものであるという。
道(タオ)の説くところ、
大いなる道とは太和(おおいなる和合)であるという
「武術とは、人が生き抜いていくための方途であった。
究極のサバイバル術であったのである。
そのためには自分への危機を回避する必要がある。・・・
さらに深く危機回避の方法を追求してみると、相手を倒すよりも、
争いそのものが生じないようにすればよいことが分かってきたのである。
そして、どうやら、『害せず』『争わず』の道のほうが、
我々が生きている世界の根本原則にそっているのではないか、
と思われるようになったのである。(老子 第八十一章)」
ユダヤ、イスラエル、『害せず』『争わず』ときたら、
当然、キリストの「汝の敵を愛せ」に繋がってくる。
敵を心から愛することにより、敵と自分が一体化し(愛魂)、
自分が自分を攻撃することはなくなるという(保江邦夫 冠光寺真法)。
ところで、大いなる道、大いなる和合、
世界の根本原則とは何かと考えると、
それはどこか遠い所にあるのではなく、
いま流行りの言葉をまねて言えば
「ここでしょ」と言う事になるのではないだろうか。
今いる宇宙にはビックバン以来の背景放射があり、
宇宙は電磁波に満ちている。
我々の体内(脳内)は水分に満ちており、
「量子場脳理論」によれば、
水の電気双極子の電磁波による動きこそが
調和をもたらすものではないのか。
悲しいことに脳は頭蓋骨によってシールドされており、
脳内の電気双極子は宇宙の電磁波の影響を受けにくい
(そのせいで記憶が保たれる)
老子のいう、赤子、先天の気、無為自然というのは
体で電磁波を感じることではないのだろうか。
「柔よく剛を制す」とはよく言われる言葉だが、
老子には「柔弱」とあるところが「帛書『老子』」には、
「柔弱、微細」とあるという。
「柔弱だけでは堅強に勝つことはできない。
『柔弱』に『微細』が加わらなければ、
老子の言うようにはならないのである。
微細な感覚を養うには柔弱を知らなければならない。(第七十六章)」
実際、人間の感覚は肌で光の粒子を感じているのだという。
それを脳が必要ないものとして切り捨てているという。
微細な感覚でもって電磁波を感じることが出来れば
達人になれるかも知れない。
しかしその頃にはそんなことはドーでもよくなっているにだろう。
てな訳で、チクチクと 日差しはあれど 風涼し
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