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面白かった、しろい本

  • 保江邦夫: 唯心論武道の誕生
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2013年8月31日 (土)

もや酢

もやしを茹でて漬け込んだピクルス。

もやしも食べれるが、メインは酢。

料理に使うと味がしまるそうな、楽しみ。

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2013年8月28日 (水)

ワイン

ブドウを搾った。

色はいい。

いつになったらワインになるのか。

年を越すかも知れない。

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ほたる石

アンケートに答えたら、

こんな物が送られてきた。

私には無害らしいが。

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修行論

 修行論 内田 樹 を読んだ。

 自分がものごとを知覚し、受容し、認識しているときに用いている

知的な枠組みの射程は限定的なものであり、

「私の知的枠組みを超越するもの」が存在する蓋然性は

高いと認めることである。

 私は、このような自己の知的射程の有限性の覚知のことを、

「科学的」と呼ぶべきだろうと思っている。

だが、私たちの社会では、この言葉はそのような意味では使われていない。

むしろ、計測可能、数値化可能な現象だけを扱う自己抑制のことを、

「科学的」と呼ぶことが習慣化している。

・・・・・いまある計測方法で考量できないものは

「存在しない」と決めつける退嬰的態度のことは、

むしろ、「科学主義的」と呼ぶべきだろう。

多田先生(内田氏の師匠)は、

「戦国時代の武士がもし今の世に生きていたら、

刀を振ったり、人を投げたり殴ったりするような稽古をしているはずはない」

「武士が今の世界に生きていたら、

おそらく最先端の科学を研究しているだろう。

どうすれば人間の生きる知恵と力が高まるかを知るために、

医学であれ、情報工学であれ、軍事科学であれ、

そういう研究をしているはずである」

 そのときどきの歴史的環境において、

生き延びるためにもっとも有効な手立てを

ためらわず選択することができるのが、

その語の本来の意味での「武士」である。

 内田氏はエマニュエル・レヴィナスというフランスのユダヤ人哲学者と

合気道の多田宏氏二人を「心の師」としているそうな。

文章が長くなったのは、私自身が記憶に残すためです。

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2013年8月26日 (月)

消しゴムはんこⅡ

日曜に消しゴムはんこ教室に参加した。

2回目なので要領は解ったつもりだったが、

半分しか出来なかった。

前回は時間が余ったので、今回は欲も出たせいもある。

「長生久視」 (長生きして視力も確か) 老子の言葉。

ただ長生きするのではなく、

視力(脳)もしっかりしていなくては意味がない、ということらしい。

「ミッキーのシンクロナイズドスイミング」(量子場脳理論)

細胞では水分子(電気双極子)が電磁波にあわせて踊っている、らしい。

半分もできなかった。

次回、てぬぐいに押す予定。

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2013年8月23日 (金)

染め展

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地球

地球の寿命は思っている以上に短いらしい。

太陽が爆発するのが50億年後とすると、

はるかに短いらしい。「時間がない」らしい。

ま、5年、10年先ではなさそうだが。

「口止め」されているのだという。

俗に言う「スピリチュアル」のムードだ。

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2013年8月20日 (火)

ご案内

消しゴムはんこ教室のご案内

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もつれ

「もつれ」は男女間だけではなかった!!!

「量子もつれ」によって(例えば、スピンの違い)

一方の量子に情報を与えると、

もつれた量子にその情報が瞬時に届くそうな。

もちろん光速は超えない。

もつれが原因で情報が届く、それも瞬時に。

うーーん、深い~~~~い。

 ImgPS: コメントは受け付けます。

老子を読んだ

 太極拳、神仙道、合気道、神道などの分野にわたり、

なかなか興味深い内容だ。

 太極拳は、その昔ユダヤ人ヤコブが見えざる神に戦いを挑まれて

一昼夜戦いぬき、 神にその武芸を賞賛され、

以後イスラエル(神に打ち勝つ者)と

 名乗ることになるのだが、

太極拳は、見えざる神との戦いの形が発祥ではないか、

 太極拳のユニークさは、古代イスラエルの神秘思想、

 キッベール(カバラ)の秘儀が土台にあるからだという説もある。

 その太極拳の目指すところはまさしく

「老子」そのものであるという。

 道(タオ)の説くところ、

大いなる道とは太和(おおいなる和合)であるという

 「武術とは、人が生き抜いていくための方途であった。

 究極のサバイバル術であったのである。

 そのためには自分への危機を回避する必要がある。・・・

さらに深く危機回避の方法を追求してみると、相手を倒すよりも、

争いそのものが生じないようにすればよいことが分かってきたのである。

 そして、どうやら、『害せず』『争わず』の道のほうが、

 我々が生きている世界の根本原則にそっているのではないか、

 と思われるようになったのである。(老子 第八十一章)」

 ユダヤ、イスラエル、『害せず』『争わず』ときたら、

 当然、キリストの「汝の敵を愛せ」に繋がってくる。

 敵を心から愛することにより、敵と自分が一体化し(愛魂)、

 自分が自分を攻撃することはなくなるという(保江邦夫 冠光寺真法)。

 ところで、大いなる道、大いなる和合、

 世界の根本原則とは何かと考えると、

 それはどこか遠い所にあるのではなく、

 いま流行りの言葉をまねて言えば

 「ここでしょ」と言う事になるのではないだろうか。

 今いる宇宙にはビックバン以来の背景放射があり、

 宇宙は電磁波に満ちている。

 我々の体内(脳内)は水分に満ちており、

 「量子場脳理論」によれば、

 水の電気双極子の電磁波による動きこそが

 調和をもたらすものではないのか。

 悲しいことに脳は頭蓋骨によってシールドされており、

 脳内の電気双極子は宇宙の電磁波の影響を受けにくい

 (そのせいで記憶が保たれる)

 老子のいう、赤子、先天の気、無為自然というのは

 体で電磁波を感じることではないのだろうか。

 「柔よく剛を制す」とはよく言われる言葉だが、

 老子には「柔弱」とあるところが「帛書『老子』」には、

 「柔弱、微細」とあるという。

 「柔弱だけでは堅強に勝つことはできない。

 『柔弱』に『微細』が加わらなければ、

 老子の言うようにはならないのである。

 微細な感覚を養うには柔弱を知らなければならない。(第七十六章)」

 実際、人間の感覚は肌で光の粒子を感じているのだという。

 それを脳が必要ないものとして切り捨てているという。

 微細な感覚でもって電磁波を感じることが出来れば

 達人になれるかも知れない。

 しかしその頃にはそんなことはドーでもよくなっているにだろう。

 てな訳で、チクチクと 日差しはあれど 風涼し

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