明けまして
令和二年、
明けまして おめでとうございます。
遊印は「動而無動」
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令和二年、
明けまして おめでとうございます。
遊印は「動而無動」
たのまれたそばを打ち終え、
店の片付けもだいたい終り、
ようやく「為朝」さんの出番。
三時過ぎからで、少々疲れた。
「もうそれくらいでいいよ」と二つ丸。
残りご飯で焼き飯をつくり、食べていたら、
アラレが降ってきて、ヒューヒューと風がなる。
ひとりで食べている焼き飯がそんなに美味しそうか。
中華なべごと食べているので、美味しく見えなくもないか。
で、一句。
ヒューヒューと 何をひやかす 北の風 次安
残骸。
一時過ぎから、打つて食べて、三人で。
少々疲れた。
今から後片付け。ひと休みしてから。
まだ、七時過ぎ。
ワンカップに紫のリボン。
今読んでいる本に、
「マザーテレサは、亡くなる1週間くらい前から
悪魔のようなものを見始め、
まるで悪魔が取り憑いたようになってしまったそうです。
彼女は数日間に渡って闘い続けましたが、
息をひきとる最後の最後にベッドの中で空中に両手を伸ばし、
「あなただったのね」と穏やかな表情でつぶやきながら、
抱きしめるようにして亡くなっていったそうです。
つまり彼女は、エゴも神聖な自己の一部であることを、
本当の意味で理解したのです。」とあり、
ふと、むかし見た「脳内メーカー」を思い出した。
中心に「怒」があり、そのせいかと思うのだが、
寝付く間際などに、何か文句を言っているのだ。
そんなとき、大脳の中心が解放されていると思っていた。
私は口が悪いらしく、そのせいでもあるまいが、
何となく直接表現は避けるようになったのではないか、
それが「駄洒落」に走った原因ではないかと思う。
私にとって「ダジャレ」とは、
「ド」に♯か♭をつけたものではないか。
「レミファー(例には)」事欠かないが、
「ソーラシート」勝手に考えている。
年越しの準備が着々と。
お酒も届いた。
関係ないかもしれないが、
家の近所の「V-」で98円。
正月飾りを買ってきた。
神道は初めて。
松井氏の絵には
「人」と「愛」が描き込まれている。
燃え尽きるには、
時間がかかりそう。
パソコンのパスワードが入らない。
どうしたものかが分からない。
頭に血が上り、友人に電話。
電源のコンセントを抜くことを思いつき、
いろいろやり、二,三回目にして繋がった。
何氣なく使っているが、ないと極めて不安になる。
写真は、物置を整理していたら出てきたもの。
バケツは懐かしい、復刻版。
「ワシ」は私の物ではないが、JBA時代のものと思う。
電気は点くし、コードも使った様子がない。
たぶん、ガラスの傘が割れたのだろう。
丸は例によって。いつも戴くばかりだ。
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