あお柚
W氏の東北土産。
まめ、マメ、豆、豆、豆しく働けということか。
それともふくろうのように酔っ払ってもいいということか。
T氏から頂いたあお柚(これの倍)。
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W氏の東北土産。
まめ、マメ、豆、豆、豆しく働けということか。
それともふくろうのように酔っ払ってもいいということか。
T氏から頂いたあお柚(これの倍)。
「守る力」本からの引用(137p~)
和歌は・・・、自我、おのれというものを出さない。
自分の気持ちとは別に、立秋といえば「白露」、
「白露」といえば「玉の露置く」という型を使うのです。
その型の中で、広く心の交流を図ります。
なぜそれができるか。
和歌に使われた歌言葉、つまり「型の日本語」が、日本人の感覚の共通項、
いわば「感覚のキーワード」になっているからです。
「梅にうぐいす」といっただけで、そして聞いただけで、
お互いの感覚、感情の扉が開き、頭の中に春の景色、春の日差し、
春の香り、春の鳥の鳴き声、そういったものがふわーっと広がっていく。
これこそが長い歴史の中で鍛えられてきた〝歌の力〟、
そして〝型の力〟が導き出すものだといえるでしょう。
てな訳で、和歌の精神にのっとった、五、七、五、
すなわち「和句」を提案するものであります。
数え方は「一句」としておきます。
で最新作を一句。
哀れ蚊も 酒の恋しき 夜更けかな 生眼
こんな本を読んだ。
和歌を支えているのは「日本の言葉」だという。
それも「型の言葉」、「型にはまって」いるからこその歌。
型にはまっているから心象が共有できる、まさに和の歌。
この秋の南天は真っ赤にならない。
栗を持っていったら、栗ご飯になってきた。
恩師傘寿祝いのクラス会(10.6)の写真ができた。
言霊って、なんとなく言葉が問題なのかと思っていたが、
実は言葉の音が大事なのだと。
タマ(霊)って言うくらいだから当然といえば当然。
つまりところ「波動」なわけだ、納得。
喫茶店へリンゴジュースをもって行き、
ピーマンとゴーヤをもらう。
半分を近所の店に分けたら、栗をくれた。
さがしたら出てきた。
20年くらい前に池田の山奥(岐阜との県境)で拾ったもの。
けしごむハンコの先生の作品。
紅い四角いハンコの数々。
センキョウビルの地下道に展示されている。
転載の許可はもらった。
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